辰姫の事を多くの方々に知って頂くことが主旨の当ブログですが、仏教・密教についての事(主に経典・お経の事)をエッセイとして書き綴ってきたので、この辺で”信仰”そのものについての事を書こうと思います。
まだ、私の知っている他の経典や陀羅尼についても書こうと思っていたのですけどね。
”信仰”。
現代では真っ先に”信仰=宗教に入っている”というイメージを持たれている方々も多いのではないでしょうか?
現代の”多額にお布施を強いったり、勧誘を強要する宗教団体”や”悪徳商法”などのせいもあるのでしょうか・・・、”信仰=宗教=うさんくさい”などといった解釈をされる方々も現代に多くいるのは事実です。
それは信仰ではないと私は言い切ります。
信仰の文字は”信じ仰ぐ”事です。
信じ、敬い、慕い、仰ぐ事です。
決して特定の宗教に属さないといけないなどといったものではありません。
そして宗教。
宗教とは”教え”です。その教えは自分も他者も、皆がよくなり正しく生きる為の心得や方法を説いた教えなのです。
世には二千年以上前から、いや、何千年も昔から現代に存在する宗教があります。
仏教、キリスト教、イスラム教・・・などなど。
その経典や作法、形は違えど、自分も皆もともによりよく生きる為の事を解く教えなんです。
決して、自分の利己的な願望や自分だけの願望を叶える為の魔法の儀式集団などではありません。
信仰。
信じ仰ぐ事。
多額のお布施やお賽銭をつぎ込み、法力の強い僧侶に拝んでもらった。だから願いが叶う。
この宗教に入っていたけど、いい事なんて一つも起きなかった。だから違う宗教に乗り換えた。
お金をいっぱい寄付した。だから功徳やご利益がいっぱいあって当然。
・・・これって”信じ仰ぐ事””自分も皆も良くなる事への徳の積み上げ”なのでしょうか?
人間の世界でしか価値のない物質”お金”を、果たして神仏が欲しがったり有難いと思うでしょうかね?
宗教。
全ての宗教に共通するのは”救い”です。
なりたいものになる事。
欲しいものを手に入れる事。
自分の事以外の、他者も皆と共にという意識のない、地位や利益の願望。
・・・これって、”皆も共により良く”という救いの本質なのでしょうか?
・・・違いますよね。
私は無宗教無宗派です。何にも属していません。
ですが、信仰はあります。
私は若い頃、神仏をののしるほど、信仰心のかけらもない人間でした。
「なんで俺がこんな目に合うんだ」「神様がいるならなんで自分だけがこんな目にあって、周りは苦労知らずで幸せなんだ」「神も仏も助けてくれねぇじゃねぇか!居やしない、神仏なんてよ、ふざけんな!」
・・・若い頃はそう思っていました。そして、多くの人々に迷惑をかけ、恨み、妬み、多くの人を傷つけてきました。
荒れてましたね~(笑)。
絵にかいたような自己中の典型ですね。全て自分以外のせいにしていましたね。不遇や境遇、それだけでなく自分の行いも。当時はそれに気付きもしませんでした。
・・・恥ずかしい限りです。しかしそれが10~20代の自分でした。
しかし、辰姫(の研究)をキッカケに、辰姫の墓前で般若心経を得て、仏教・密教についても調べ上げ(辰姫の研究に必要だった経緯があります)、学び、幾つかの経典を読誦するようにもなり、亡き祖父の日課の読経を自発的に継承するようになりました。
その経緯で辰姫、自身の先祖の仏壇、祖父の形見の観音像に読経を捧げるようになりました。
仏教の主旨を知り、自分以外の存在に読経を捧げる事を愚直に行うようになりました。
辰姫の安らぎと笑顔、そして生前の悲しみと苦労のねぎらい・・・。
自分の先祖への感謝と自分の一家の主としてのふがいなさのお詫び。そして先祖の安らぎ。
祖父が死の直前まで手を合わせた、一家の安泰を願って祖父が入手した聖観音を自分も祖父の意志を継ぎ信じ読経を捧げるようになったのです。
信じ仰ぐ。
だからこれが私の信仰です。
辰姫、生きている大切な人達を救い守る事、尊敬する亡き祖父の意志とその信仰の対象であった観音菩薩。そして自身の先祖。
それが私の信仰の対象です。
人はそれほど強い存在でもなければ、完璧な存在ではありません。
何かにすがったり、助けてほしいと思う時もあるものです。
何も信じず、何にも頼らず、己のみを信じ・・・。こんな人物が少年誌の漫画などで描かれる時もありますが・・・これほど寂しく、しかも自分の世界の小さい人間はないでしょう。
現代は物があふれています。便利で、不自由も数百年前に比べれば断然減っているのは事実です。
しかし、それゆえに、現代人は本当に大切な事に気付かなくなっているのではないでしょうか?
何を信じるかではなく、誰にも強要せず・・・
自分自身がどれだけ信じ、仰ぎ、そして自分も皆もよりよくある為の気持ちと行動をしていくか。
それが信仰というものではないでしょうか?
物にあふれ便利になった現代(日本社会)。
その代償として、本当に大切な事に気付きにくくなっているのかもしれませんね・・・現代人って・・・。
まだ、私の知っている他の経典や陀羅尼についても書こうと思っていたのですけどね。
”信仰”。
現代では真っ先に”信仰=宗教に入っている”というイメージを持たれている方々も多いのではないでしょうか?
現代の”多額にお布施を強いったり、勧誘を強要する宗教団体”や”悪徳商法”などのせいもあるのでしょうか・・・、”信仰=宗教=うさんくさい”などといった解釈をされる方々も現代に多くいるのは事実です。
それは信仰ではないと私は言い切ります。
信仰の文字は”信じ仰ぐ”事です。
信じ、敬い、慕い、仰ぐ事です。
決して特定の宗教に属さないといけないなどといったものではありません。
そして宗教。
宗教とは”教え”です。その教えは自分も他者も、皆がよくなり正しく生きる為の心得や方法を説いた教えなのです。
世には二千年以上前から、いや、何千年も昔から現代に存在する宗教があります。
仏教、キリスト教、イスラム教・・・などなど。
その経典や作法、形は違えど、自分も皆もともによりよく生きる為の事を解く教えなんです。
決して、自分の利己的な願望や自分だけの願望を叶える為の魔法の儀式集団などではありません。
信仰。
信じ仰ぐ事。
多額のお布施やお賽銭をつぎ込み、法力の強い僧侶に拝んでもらった。だから願いが叶う。
この宗教に入っていたけど、いい事なんて一つも起きなかった。だから違う宗教に乗り換えた。
お金をいっぱい寄付した。だから功徳やご利益がいっぱいあって当然。
・・・これって”信じ仰ぐ事””自分も皆も良くなる事への徳の積み上げ”なのでしょうか?
人間の世界でしか価値のない物質”お金”を、果たして神仏が欲しがったり有難いと思うでしょうかね?
宗教。
全ての宗教に共通するのは”救い”です。
なりたいものになる事。
欲しいものを手に入れる事。
自分の事以外の、他者も皆と共にという意識のない、地位や利益の願望。
・・・これって、”皆も共により良く”という救いの本質なのでしょうか?
・・・違いますよね。
私は無宗教無宗派です。何にも属していません。
ですが、信仰はあります。
私は若い頃、神仏をののしるほど、信仰心のかけらもない人間でした。
「なんで俺がこんな目に合うんだ」「神様がいるならなんで自分だけがこんな目にあって、周りは苦労知らずで幸せなんだ」「神も仏も助けてくれねぇじゃねぇか!居やしない、神仏なんてよ、ふざけんな!」
・・・若い頃はそう思っていました。そして、多くの人々に迷惑をかけ、恨み、妬み、多くの人を傷つけてきました。
荒れてましたね~(笑)。
絵にかいたような自己中の典型ですね。全て自分以外のせいにしていましたね。不遇や境遇、それだけでなく自分の行いも。当時はそれに気付きもしませんでした。
・・・恥ずかしい限りです。しかしそれが10~20代の自分でした。
しかし、辰姫(の研究)をキッカケに、辰姫の墓前で般若心経を得て、仏教・密教についても調べ上げ(辰姫の研究に必要だった経緯があります)、学び、幾つかの経典を読誦するようにもなり、亡き祖父の日課の読経を自発的に継承するようになりました。
その経緯で辰姫、自身の先祖の仏壇、祖父の形見の観音像に読経を捧げるようになりました。
仏教の主旨を知り、自分以外の存在に読経を捧げる事を愚直に行うようになりました。
辰姫の安らぎと笑顔、そして生前の悲しみと苦労のねぎらい・・・。
自分の先祖への感謝と自分の一家の主としてのふがいなさのお詫び。そして先祖の安らぎ。
祖父が死の直前まで手を合わせた、一家の安泰を願って祖父が入手した聖観音を自分も祖父の意志を継ぎ信じ読経を捧げるようになったのです。
信じ仰ぐ。
だからこれが私の信仰です。
辰姫、生きている大切な人達を救い守る事、尊敬する亡き祖父の意志とその信仰の対象であった観音菩薩。そして自身の先祖。
それが私の信仰の対象です。
人はそれほど強い存在でもなければ、完璧な存在ではありません。
何かにすがったり、助けてほしいと思う時もあるものです。
何も信じず、何にも頼らず、己のみを信じ・・・。こんな人物が少年誌の漫画などで描かれる時もありますが・・・これほど寂しく、しかも自分の世界の小さい人間はないでしょう。
現代は物があふれています。便利で、不自由も数百年前に比べれば断然減っているのは事実です。
しかし、それゆえに、現代人は本当に大切な事に気付かなくなっているのではないでしょうか?
何を信じるかではなく、誰にも強要せず・・・
自分自身がどれだけ信じ、仰ぎ、そして自分も皆もよりよくある為の気持ちと行動をしていくか。
それが信仰というものではないでしょうか?
物にあふれ便利になった現代(日本社会)。
その代償として、本当に大切な事に気付きにくくなっているのかもしれませんね・・・現代人って・・・。