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Channel: 辰姫 ~石田三成の娘の生涯と軌跡~
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仏教そのものについて

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 このブログは辰姫の存在を一人でも多くの方々に知って頂く事を主旨としたブログですが、エッセイとして仏教・密教・信仰(経典・お経)について書かせて頂いています。


 今回は”仏教”そのものについて書こうと思います。前回の記事の”信仰について”とそれより以前に書いた”「やった事は自分に返ってくる」という”業(ごう)”について”の記事を一緒に読んで頂ければ更にわかりやすいと思います。


 仏教とは”仏の教え”です。
 それは、生きている他界していると区別なく、苦しみから解き放たれ、自分も他者も皆がより良くある為の教えです。
 他の記事に書いていますが、利己的なお願い事や楽々生きる為の魔法でも、自分中心の願い事を叶える魔法の儀式や儀式集団ではないのです。
 それは当然、仏教の無数の経典(お経)も同様です。経典(お経)は、唱えるだけで願いが叶う魔法の呪文ではないのです。

 仏教は大別して二種類に分類できます。

 一つは上座部仏教(小乗仏教)。
 これはお釈迦様のみを仏とし崇拝し、出家し僧侶になり修行しないと仏道に入らねば悟りは開けないといった仏教。タイ・スリランカ・ミャンマーといった国の仏教の中心がこれに当たります。

 もう一つは大乗仏教。
 これは出家し僧侶にならなくても悟りの道を求められるというもの。「皆、誰でも」という主旨です。日本の仏教の大半がこれに当たります。日本以外でもモンゴル・中国・韓国といった国の仏教がこれに当たります。


 宗教というと、つい運命というものを論じる傾向があります。
 仏教ではその運命を左右する要因としてを”業”を示しています(業については以前の記事の”「やった事は自分に返ってくる」という”業(ごう)”について”の記事を参照下さい。)

 業は”やった事は自分に返ってくるという事。いい事をすればいい事が、悪い事をすれば悪い事が。自業自得というヤツです。

 人間や生き物に対し行った善し悪しの事は自分に返ってきます。それが運命を作っているというのです。
 しかも、この世に生まれる前に築いた業は、この世でも背負いながら生きているというのです。
 これが仏教でいう”運命”です。
 だから、善い事を心掛け(他人の喜ぶ事、他人が助かる事など)、些細な事でも善い事をすれば、その業によって運命は良い方向へ流れると言います。
 その逆に悪い事を考え(理不尽や他人の困る事など)、些細な事でも悪い事をすれば(悪口、ちょっかい、イジメ、チクチク、剥奪、陥れる、などなど)、その業によって悪い方へ流れるというのです。
 しかもこの業は、自分以外の存在にも影響し自分がその業を受ける事にもなり、更に他界後も背負い続けるというのです。良くも悪くもです。
 そう、自分の何もかもが自分の運命を作っているというのです。

 これが仏教の苦しみから逃れる為の教えの一つです。
 お釈迦様(ゴータマシッタールダ、世尊、釈迦如来)の言葉で「業から逃れる術はない」というものがあります。

 しかし、この業の支配を軽減する(または消滅させる)方法や、悪事を働く・悪意を持つ人間や悪い存在から守られる方法を解いているのが仏の教えを書き記している経典(お経)というものです。


 ここまで読んで下さった方々はもうお気づきかもしれませんが、仏教は”ある対象(神様)をにひたすら崇拝しつつ、自分の願い事を言い続ければ願いが叶う。苦難が無くなり、楽々喜びの人生となる”というものではないのです。

 生きていれば必ず不本意な出来事や境遇に出くわすものです。その時ですら善い考えと善い行いをし、日々、仏の教えを心において仏の教えである経典(お経)を口にし、徳(功徳)を積む事が修行であり(お経を読む事は万物を救う為の御仏の教えを口にするという善い行いなので徳が生じるといいます = 功徳)、その修行により善い方向へ向かい、御仏も手を貸すか否かお決めになるというのです。
 ただ、如来や菩薩といった御仏という存在は、いかなる罪人でも救済の対象とし、万物の救済を願っているとされています。

 つまりは、日々の自分次第といったところでしょうか。


 西遊記という話は有名です。当然フィクションですが、玄奘(玄奘三蔵・三蔵法師)という僧侶が中国からインド(天竺)へ経典を求めて旅をして、経典を持ち帰ったという話は実話です。
 西遊記は実話をモチーフにした仏教の要素を解いているフィクションストーリーです。
 この西遊記でも、玄奘たち一行が幾度となく困難な目に会いますが、御仏は滅多に助けたりしません。
 「あわや・・・ここまでか!」といった時に、初めて御仏(観音菩薩)が手を貸してくれています。
 そして救いを受ける事の出来た玄奘やその一行は、常に出会った人々を助けたり、共に善くあろうとしたり、玄奘に関してはいつもお経を口にしています。
 実に仏教というものをフィクションを盛り込み、その根幹を表現していますね。
 ちなみに玄奘一行の名前もよく見ると仏教から取り入れているのが解ります。

 孫悟空・・・「悟空」は”空を悟る”。”空”は般若心経が説く教えで、それを悟るという”悟”の文字をつけている。
 猪八戒・・・「八戒」は八つの戒め。仏道での修行で守らなければならない戒めの規律。
 沙悟浄・・・「悟浄」は悟りと清める・清まるの文字。

 面白いものです。


 話を仏教そのものに戻します。
 
 日々の善い考え、善い行い、自分だけでなく皆も一緒に善くなる事を意識し実行し、更には御仏の教え(経典・お経)をしっかり理解し心において、日々口にして、その教えを説いて下さった御仏という存在を敬い、自分も皆も御仏も皆ともにあるという事を意識実践していく事が、「苦難を乗り越える力になる」というのです。

 どんな苦難も乗り越える力 = 苦難を苦難としない = その真理を悟る。実践する。

 これが仏教なんです。


 神様に願い事をひたすら言ってそれで万事上手くいくなら世話ありません。
 世の中はそんなに甘くありませんよね。それは皆様も自分の人生で体験済みなはずです。かくいう私もです。

 仏教は”自分を甘やかすものではない”。


 世の中には様々な宗教が存在しているようですが、何千年も昔から現在に至る宗教(特に仏教)の主旨や本質を知ると、年千年という時を経て現代に伝えられてきたのかが納得です。

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