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Channel: 辰姫 ~石田三成の娘の生涯と軌跡~
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”因果応報”を忘れずにおきたいものです

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 今回はオマケ記事である管理人の日常記事です。


 私の今の生業は看護師です。経験年数は二十年以上になります。
 ”白衣の天使”などという言われ方もする職種ですが・・・

 残念ながら二十年以上の経験で、人の悪口や陰口を耳にしない職場はありません。

 なぜでしょうね・・・
 きっとどんな仕事でも同じなのでしょうが・・・

 以前、仏教エッセイでも管理人の日常記事でも同様の事を書きましたが・・・

 ”やった事は必ず形を変えて自分に返ってくる。善い事をすれば善い事が、悪い事をすれば悪い事が”
 これは仏教でいう”業(ごう)”。
 すなわち”因果応報”というやつです。

 どんな人であれ、親や大人に「やった事は自分に返ってくるんだよ」「自分がやられて嫌な事は人にしてはいけないよ」と幼い頃に教わっているはずなのに・・・

 大人になると子供の頃に親や周囲の大人に教わった事を忘れてしまうものなのでしょうか?
 それとも、知っていて「そんなの、くだらねぇ」くらいに思っているのでしょうかね?

 私の思うところ、人の事をとやかく言う人間ほど、陰口を言われていて、尚且つそれに気付いていないものだと思えてなりません。

 陰口悪口は誰がどう見てもよい行いとは言えないでしょう。
 ゆえにその宜しくない行いは悪い業(ごう)として、本人に蓄積されていく。


 なぜ、自ら好んで悪い業(ごう)を作り出していくのでしょうね。
 それは形を変えて必ず自分に返ってくる。必ずです。
 それは仏教の説いている教えの影響も多分にありますが、私自身の四十数年の人生で気付かされたところでもあります。

 ・・・皆様はどう思われますか?


 「悪い行いをしていても裕福で幸せな奴はいるじゃないか」
 そういう人も多くおられます。私自身も若い頃はそう思っていました。

 ですが、今は全くそうは思いません。
 死んだ後もその業は背負い続ける。
 それは仏教の説く教えのところ。

 死後などという言葉を使うと、いささかスピリチュアル的な印象を持たれてしまうかもしれませんが、人が死去した際に何故、必ず葬儀をするのでしょう?
 死んで全てオシマイなら、なぜ、何千年も前から人が死去した時に葬儀をするという行いが現代も行われているのでしょうか?それも世界中で。

 別に死後の世界を論じるつもりは毛頭ありません。
 ですが、仏教の研究で何千年も前から現代に伝わる仏教の教え・経典(おきょう)の現代語訳を得て思うところは、軽はずみな些細なよろしくない行いは蓄積され、生前死後を問わず本人に必ず返ってくる。

 その事を私は肝に銘じています。
 今までの人生を振り返ってみても、そのとおりだと思えてならないからです。


 神仏云々に期待や願い事をしたり、神社で買ったお守りを持ったり厄除けをしてもらう前に、自らの行いを振り返り正すべきところでしょう。
 ・・・私にも言える事ですけどね。


 一時の憂さ晴らしや、自分の立場維持や仲間を作る為、そして自分がつつかれない事を目的として、些細な悪い業を積み重ねる事だけはしないよう私は心がけます。


 そう・・・自分に返ってきますからね。
 善い事も、悪い事も。

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