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Channel: 辰姫 ~石田三成の娘の生涯と軌跡~
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私は読経、妻は祝詞

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 今回の記事は仏教エッセイの記事にするかオマケ(管理人の日常)記事にするか迷ったのですが、”祝詞(のりと)”がキーワードとなる記事なので、仏教エッセイの記事ではなく、オマケ(管理人の日常)記事としました。


 度々仏教エッセイの中で書いていますが、私は日課で毎日(朝夕)読経をしてます。

 我が家・・・いや、身内で読経をする人間は私一人です。
 しかし、読経ではありませんが・・・似たような事を日々している人間が我が家に一人います。

 私の妻です。
 妻は、日々”祝詞(のりと)”を捧げています。

 祝詞は仏(○○如来や○○菩薩や○○明王など)ではなく”神”に捧げるものです。
 神とは神社に祀られている神、つまり日本の神道の神です。
 もっとわかりやすく言えば、古事記に登場する神の事です。
 伊勢神宮に祀られる天照大御神(アマテラスオオミカミ)や、その弟の須佐之男命(スサノヲノミコト)などがそれに当たります。

 私達夫婦は結婚式を埼玉県さいたま市の氷川神社で挙げました。以来毎年、さいたま市の氷川神社に参拝しています。
 氷川神社は須佐之男命(スサノヲノミコト)を祀っている神社です。
 そう、須佐之男命(スサノヲノミコト)は古事記で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を倒したとされる神です。

 妻は近年毎年初詣の際にお祓いを受けています。もちろん氷川神社でです。
 そのお札を神棚並みに祀り、そのお札に祝詞を捧げています。
 祝詞は神主がお祓いや祈祷の際に捧げる言葉で「○○○○~かしこき~、かしこき~、まおす~。」といった感じで述べる文章です。

 私は幾つかの仏教経典(お経)を読誦出来ていますが、祝詞は一つも知りません。
 一方、妻はお経は一つも知りませんが、幾つかの祝詞を言う事が出来るようで、一つは完全に暗記しているようです。

 初詣以外に神社に参拝したり、他の神社に赴いた際は、覚えている祝詞を小声で捧げているようです。
 私が言うのも何なんですが・・・我が妻ながら大したものです。
 なにせ私は祝詞は一つも知らないのですから・・・。

 そもそも妻が祝詞を唱えるようになったのは、私の読経の影響の様です。
 また、「年に一回の初詣の時だけ来て、自分勝手なお願い事をして、日頃、手すら合わせない人間の言う事なんか神様は聞くわけないんじゃないの?」という私の言葉に衝撃を受けたようです。

 妻は私に教わる事を嫌い(馬鹿にされるからと言ってました・・・そんな事無いんですけど・・・)、また、私と同じ事をするのは嫌だと言い張り、祝詞を覚え唱え始めたとの事でした(汗)。


 古事記でも書かれており、仏教でも述べられていますが、”神”は”仏”とは別の存在で、個々が凄まじい力を持っているとされていますが、仏と異なり感情で行動を起こす事があるとされ、ゆえに好き嫌いもあり、人々に”罰”を与える事もあるとされる存在です。
 ゆえに、人々に対し差別も当然あるとされています。


 妻は自分の為に祝詞を捧げているようですが、無事な毎日を過ごしたいという気持ちで、結婚式を挙げた際に見てもらった神様(氷川神社の神・須佐之男命(スサノヲノミコト))に祝詞を捧げる努力と姿勢、つまり自分達人間より上の存在を敬う気持ちと行動(祝詞)は、私にとっては敬意に値しています。

 それに、自分は運が悪いと嘆き、何の努力もせずただ自分勝手なお願い事を延々と述べる人間よりかは、相手(妻の場合は神)の喜ぶ事(妻の場合は祝詞と礼拝)をして、その努力と姿勢を示す事は、相手が神でなくても人間であっても、差が出て当然だと私は思うのです。

 妻は一つ一つの祝詞が言えるようになり、覚えられていく事が嬉しくもあるようですけどね。


 ちなみにお経は神に捧げるものではありませんが、般若心経だけは神社の神にささげて喜ばれる・捧げてよいお経とされています(仏教エッセイの記事を参照下さい)。
 ゆえに、神社に参拝した時は、妻は小声で祝詞、私は小声で般若心経を捧げています(大きな声ですと他の参拝客に迷惑ですので・・・)。


 私は僧侶や特定の宗教宗派の信者ではないし、妻も巫女・神主でもありませんが、互いによい日課と信仰を得られたとは思っています。


 旦那(私)は仏教経典(お経)。妻は祝詞(のりと)。
 そんな私達夫婦です。

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