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Channel: 辰姫 ~石田三成の娘の生涯と軌跡~
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いじめや子供の自殺を日々のニュースで見て思う事

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 今回の記事は当ブログでのオマケ記事。管理人の日常記事です。
 歴史好きでない方々や仏教に関心のない方々もお付き合い下さい。


 日々のニュースで子供のいじめや自殺のニュースを目にします。

 私も小中学生時にいじめにあっていました。陰口や悪口や無視といったレベルではありません。とてもブログで書けるような内容ではない、漫画でも描けないような仕打ちを受けた事があります。

 見かねた友人から克己の為にと空手を薦められ、必死に空手を身に着け・・・
 私は克己の為ではなく復讐に使い、その後も誤った事を散々に繰り返してしまいました。
 その道から抜け出すのに相当の苦労と時間を要しました。

 私はいじめられっ子といじめっ子(ゴロツキと言っていいでしょう・・・)の二つの経験をしてしまいました。

 もし、この記事を社会にまだ出ていない学生の身分の方々や子供たちが見て下さっているのでしたら、これだけは心にとどめて下さい。


 「やった事は自分に形を変えて必ず返ってきます」


 仏教記事の中でも述べていますが、仏教の教え(経典・お経)の中でも、”因と縁(因果応報)”を述べ、あのお釈迦様ですら「業(ごう)から逃れるすべはない」という言葉を残しています。
 ”業(ごう)”と””因と縁(因果応報)”については仏教エッセイの記事の中で詳しく述べています。是非参照下さい。


 仏教の教えでなくても、私自身の経験からでも、この因果応報・やった事は必ず自分に返ってくるという事は絶対あると言い切れます。
 それは、私だけでなく、他の大人、社会を経験してきた人生の先輩方でも身に覚えのある事です。


 人を侮ったり、見下したり、馬鹿にしたリする姿勢は、はたから見て醜さ以外の何物でもありません。
 自分は優越感に浸れるでしょうけど、誰もそんな人間を凄いともカッコいいとも思うものではありません。
 醜さと小者以外の何物でもありません。

 そして・・・その所業に見合った出来事や人生が必ず待っています。
 仏教では、この世でその業(因果応報)を受ける事が無ければ、死んだ後もその代償を支払い、背負い続けるという事が言われています。

 自分の立場や名声、富、称号を得んが為に行った他人への所業、接し方も、全て”業”として因果応報を受ける。
 それは逃れられません。


 私が子供(義務教育を受けていた年頃)の時は、スマホも携帯も、パソコンも、身の回りにありませんでした。
 小学生の時なんか”缶蹴り”や”ドロけい”などして遊んだものです(今の子たちは知らないかも・・・)。

 今の世の中、物は裕福になっても、心は裕福どころか貧しくなっていると思えてなりません・・・。
 物が裕福になるほど心はさびれていくとすら思ってしまいます。


 いじめ、悪口、陰口、陥れ。これらは自分の将来に”苦と罪”を約束するだけの醜い所業です。


 「自分がやられて嫌な事は人にしない」

 誰もが幼い頃に親に言われた事のある言葉ですが・・・
 大人になるとその言葉は心から消えてしまうのかもしれませんね。
 現代の子供たちの心に、この言葉は刻まれていないのかな・・・?


 他人を傷つける事は自分を傷つける事です。
 子供たちだけでなく、私たち大人、社会人も、その事を自分に言い聞かせる必要があると私は思います。
 子供達には絶対に覚えておいてもらいたい事です。

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