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Channel: 辰姫 ~石田三成の娘の生涯と軌跡~
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日常で”智慧”を活かして

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 この記事は”仏教”と”私にとっての辰姫”にも触れていますが、現在、私が日々の生活で意識している事が根本の記事なので、記事カテゴリーは”オマケ(管理人の日常)”の記事にしておきます。


 人は困難や不遇に陥り、その境遇に行き詰った時、他人や自分自身からこう言われ、納得してしまう事があります。

「そういう運命なんだ」
「神様の仕業」

 ・・・そう自分に言い聞かせたり、他人に言われ、納得した事は無いでしょうか?
 私はこの42年の人生の中で、上の言葉をきかされたり自分に言い聞かせたりしてしまった事は多々あります。

 しかし、上記のような”運命”や”神の仕業”というものを全く思いませんし、また信じてもいません。
 そう思えるようになったのは、仏教のお経(経典)の現代語訳を読みふけった事が多分に影響しています。


 仏教のお経(経典)の中にはこう書かれているものがあります。


『 人が経験する事は全て運命である。もしそう思うのであれば全てが運命で成り立つ事になる。ゆえに、これはしなくてはいけない、これはしなければならない、といった努力も希望も無くなり、世の中の進歩も改善も無くなる事になる。

 全てを神の業とするなら、また、因も縁も無いとするのなら、悪から離れ、善を成そう、といった努力も意味も、全て無駄になってしまう。』

 この言葉、”お釈迦様”の言葉です。


 記事カテゴリー”エッセイ(仏教)”の中で書いた、書籍「仏教聖典」の中に書かれているものです(私なりに文章を噛み砕いで短縮し、要約して上記しました。本来の文が知りたいのであれば「公益社団法人仏教伝道協会出版の「仏教聖典」をお読みい下さい)。

 自身の不本意な境遇に嘆くあまり、運命や神(神の業・罰)という事にして、結論に至ってしまい、自分で自分を”悲劇の主人公”にする。
 そんな事が私の今までの人生には多々ありました。

 仏教を調べる(学び得る)前まで、私はこの42年の人生の中で、本当に数多くの自己啓発書籍を読みました。
 しかし・・・即効性がある書籍は幾つかありましたが、真に心に響き、自分を救う書籍に出会う事は出来ませんでした。

 しかし、今は仏教で学び得た智慧(お経・お経の意味・現代語訳)で、そのように自分を”悲劇の主人公”にする事は一切なくなりました。

 これが、現代の頭のいい教授や作家の作品と、2000年以上前から現代の世界に伝わる仏教(釈迦の教え・密教)の差だと私は痛感しています。


 こんな2000年以上も残り伝わる智慧(教え・釈迦の教え・仏教・密教)をまだ断片的にしか学び得ていませんが、そんな貴重な知恵をこれからも生活に活かしていくつもりです。


 そう、神様に手を合わせて利己の自分の願い事を願い続けたって叶うわけが無いんですから。
 しっかり、自分の境遇や出来事から何かを学び得ていかないといけないですね。


 そんな智慧に出くわしたキッカケを与えてくれた辰姫には感謝しきれません。
 辰姫の研究も墓参りも私には永遠継続です(必ず書籍にして辰姫を後世に残し伝えます)!!


【注意】
 この記事は私にとっての仏教を述べているものであり、宗教や書籍購入を強要したり薦めているものではありません。
 誤解のないようお願い致します。

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