大人になると自分が傷つかずプライドを守る方法を身に着けてしまうもの。
「本気じゃないから」「仕事じゃないし」「初戦趣味でやってるから」
これらのセリフを口にすれば、少なくても「全力出してこの程度?大した事ないね」という他人の評価から自分を守れる。
しかし、自分が情熱を傾けていることに対しての自分を、自分が一番わかっているはずです。
私は今まで辰姫の研究をしている事を身近な人間達には自ら口にすることなく来ました。
「歴史?お姫様の研究?何それ?」「いつか本でも書くんかい?ははは」「ついていけな~い」
そんな言葉は呆れるほど浴びました。
そして辰姫研究の取材においても「歴史の教授かなんかなんですか?アンタ?」「遊びなんですよね?」
そっけない言い方でその様な言葉と取材拒否の返事を頂いた事もあります。
私は今年、本業(看護師)の職場を替え、同じ職場で私と入職一カ月遅れの10歳年下の男性と知合いました。
彼はバンドをやっていて、インディーズとして活動しているよう。
彼にとって本業は私と同じ看護師(同じ職場ですから)。
しかし、ネットの動画や彼と話すうちに、彼の音楽に対する熱意と情熱を感じました。
その彼の音楽を動画で見た時に私は思いました。
自分ももう逃げるのはやめようと。
歴史学者でも教授でもないく、歴史分野以外の本業を持つ私は、確かに教授や学芸員クラスの歴史に携わる分野の方から見れば大したことはないでしょう。いわば素人域です。
しかし、辰姫研究記事を見て頂ければわかると思いますが、私の辰姫研究の取り組みは、大げさかもしれませんがハッキリ言って生涯をかけています。使命感すら持っています。半端な気持ちや半端な取り組みはしていないつもりです。
それを「仕事じゃないですけどね」などと身近な人間に自らはぐらかすように言っていた自分があります。
そうすれば、仮に馬鹿にされたり、評価されなくても、自分が傷つかないで済むからです。
でも、その彼の音楽の姿に、私も堂々と自分が情熱を傾けている事(辰姫の研究とその伝承、書籍化)を公言することにしました。
自分から言い出す事はわざわざする気もありませんが、聞かれれば堂々と答えていくつもりです。
「辰姫という石田三成の娘を研究し書籍化を目指しています」と。
上記したようなキツイ言葉や待遇は、辰姫の研究を始めてから散々ありました。
しかし、その一方、私の辰姫の研究を支持してくれる方々、快く取材に応じて下さった方々、その際に公にできない歴史上の事実も教えて下さった方、「辰姫は絶対に喜んでますよ」と励ましてくれた方々は、数多くおられました。おられます。
私が自分の辰姫の研究に胸を張れないようでは、それらの支援者、協力者、応援者の方々、そして何より縁あって(?)研究対象になってくれた辰姫という歴史上人物に対しても背を向けることになる。
そう考えたのです。
そういう経緯もあって、ウケるようなどうでもいいようなエッセイ記事はすべて削除し、ブログ名やブログ内を改名訂正したんです。
シンプルに、真剣さが伝わるように。
その音楽に情熱と熱意を持つ同じ職場の仲間となった男性スタッフには、感謝しています。
彼と出会い話さなかったら、私はずっと自分が傷つかないような言葉を吐きながら辰姫研究を続けていく事になっていたでしょう。
10歳年下の彼の姿から私は”好きな事、情熱を持っている事に対し素直になろう”と教わりました。
私は、石田三成の三女の辰姫を専門に研究している者です。
一人でも多くの方に辰姫の正しい歴史と姿を、存在を、伝え残すために研究しています。
仕事は当然生きていくうえで必要で捨てることはできないもので懸命に努めますが、辰姫研究は仕事以上の使命感と情熱を持っています。
42歳にもなって大人げないと思う方もおられるでしょうが、もう動じません。それが私です。
ちなみにここで歴史上人物の言葉、明智光秀の言葉を一つ。
「心知らぬ、人はなんとも言わば言え。身をも惜しまじ、名をも惜しまじ」
辰姫を研究していると、自分が辰姫を調べているという感覚より、辰姫が自身の事を私に教えてくれているような気になります。
歴史上の人物を調べるという事は、その人物と対話する事。
私はそう思っています。
・・・私は幸せ者ですね。きっと。
「本気じゃないから」「仕事じゃないし」「初戦趣味でやってるから」
これらのセリフを口にすれば、少なくても「全力出してこの程度?大した事ないね」という他人の評価から自分を守れる。
しかし、自分が情熱を傾けていることに対しての自分を、自分が一番わかっているはずです。
私は今まで辰姫の研究をしている事を身近な人間達には自ら口にすることなく来ました。
「歴史?お姫様の研究?何それ?」「いつか本でも書くんかい?ははは」「ついていけな~い」
そんな言葉は呆れるほど浴びました。
そして辰姫研究の取材においても「歴史の教授かなんかなんですか?アンタ?」「遊びなんですよね?」
そっけない言い方でその様な言葉と取材拒否の返事を頂いた事もあります。
私は今年、本業(看護師)の職場を替え、同じ職場で私と入職一カ月遅れの10歳年下の男性と知合いました。
彼はバンドをやっていて、インディーズとして活動しているよう。
彼にとって本業は私と同じ看護師(同じ職場ですから)。
しかし、ネットの動画や彼と話すうちに、彼の音楽に対する熱意と情熱を感じました。
その彼の音楽を動画で見た時に私は思いました。
自分ももう逃げるのはやめようと。
歴史学者でも教授でもないく、歴史分野以外の本業を持つ私は、確かに教授や学芸員クラスの歴史に携わる分野の方から見れば大したことはないでしょう。いわば素人域です。
しかし、辰姫研究記事を見て頂ければわかると思いますが、私の辰姫研究の取り組みは、大げさかもしれませんがハッキリ言って生涯をかけています。使命感すら持っています。半端な気持ちや半端な取り組みはしていないつもりです。
それを「仕事じゃないですけどね」などと身近な人間に自らはぐらかすように言っていた自分があります。
そうすれば、仮に馬鹿にされたり、評価されなくても、自分が傷つかないで済むからです。
でも、その彼の音楽の姿に、私も堂々と自分が情熱を傾けている事(辰姫の研究とその伝承、書籍化)を公言することにしました。
自分から言い出す事はわざわざする気もありませんが、聞かれれば堂々と答えていくつもりです。
「辰姫という石田三成の娘を研究し書籍化を目指しています」と。
上記したようなキツイ言葉や待遇は、辰姫の研究を始めてから散々ありました。
しかし、その一方、私の辰姫の研究を支持してくれる方々、快く取材に応じて下さった方々、その際に公にできない歴史上の事実も教えて下さった方、「辰姫は絶対に喜んでますよ」と励ましてくれた方々は、数多くおられました。おられます。
私が自分の辰姫の研究に胸を張れないようでは、それらの支援者、協力者、応援者の方々、そして何より縁あって(?)研究対象になってくれた辰姫という歴史上人物に対しても背を向けることになる。
そう考えたのです。
そういう経緯もあって、ウケるようなどうでもいいようなエッセイ記事はすべて削除し、ブログ名やブログ内を改名訂正したんです。
シンプルに、真剣さが伝わるように。
その音楽に情熱と熱意を持つ同じ職場の仲間となった男性スタッフには、感謝しています。
彼と出会い話さなかったら、私はずっと自分が傷つかないような言葉を吐きながら辰姫研究を続けていく事になっていたでしょう。
10歳年下の彼の姿から私は”好きな事、情熱を持っている事に対し素直になろう”と教わりました。
私は、石田三成の三女の辰姫を専門に研究している者です。
一人でも多くの方に辰姫の正しい歴史と姿を、存在を、伝え残すために研究しています。
仕事は当然生きていくうえで必要で捨てることはできないもので懸命に努めますが、辰姫研究は仕事以上の使命感と情熱を持っています。
42歳にもなって大人げないと思う方もおられるでしょうが、もう動じません。それが私です。
ちなみにここで歴史上人物の言葉、明智光秀の言葉を一つ。
「心知らぬ、人はなんとも言わば言え。身をも惜しまじ、名をも惜しまじ」
辰姫を研究していると、自分が辰姫を調べているという感覚より、辰姫が自身の事を私に教えてくれているような気になります。
歴史上の人物を調べるという事は、その人物と対話する事。
私はそう思っています。
・・・私は幸せ者ですね。きっと。