般若心経についての記事を書く事が増えたので、ブログのカテゴリーに「般若心経・経典」を加え、記事を分類しました。
そもそも、私にとっての般若心経は宗教云々というものからではなく、歴史研究をしつつ敬愛と尊敬を抱くようになった歴史上人物、石田三成三女の”辰姫”がキッカケで、亡き祖父が日課としていた読経を思い出し、敬愛と尊敬を抱く個人に自分の手で喜ぶことをしてあげたいと思い、亡き祖父の日課の読経を継承しようと思った事が始まりです。
開運云々をハナから目的としていたわけではなく、宗教に属する気も毛頭ありません。
しかしながら、般若心経を得たからには、その歴史や意味をしっかり理解しておく必要もあるだろうと思い(職業病かな?)、幾つかの書物やネット上での情報を手当たり次第目を通してきました。
・・・まぁ~、いろんな解釈があるものですね。
般若心経そのものが言っている意味は共通ですが、般若心経に対しての偏見(?)は凄まじいとすら感じました。
そこで、私なりに調べて私なりに思い解釈した般若心経の存在や在り方について記しておこうと思います。
あくまで、私の般若心経の在り方です。別に薦めているわけでもスピリチュアルを論じているわけでもありません。
そもそも般若心経は仏の教え。よりよく生きていく為の道しるべ、教えと私は思っています。
開運や除霊云々といった類の事は般若心経の本来の目的と異なるものだと思っています。ただ、葬儀や法事と言った故人との関わりや宗教上での作法の場で用いられる事から、現代では心霊的・スピリチュアル的なイメージが先行しがちなのでは?と思ったりもしています。
般若心経の説いている内容は”不変なものはない””こだわりを捨てる事””皆共に”に重きを置いていると解釈しています。全文の意味を知り受け止めると、非常に気持ちが安らぎ、目の前の物事に翻弄されていた自分に気付かされる思いです(私はです)。
そんな気持ちの安らぐ、人よりも崇高な存在が説き何千年も前の僧や人を救う道を模索した方々が人生をかけ翻訳し集約した教えです。故人が聴いても喜ぶのでは?と思います。だからきっと葬儀や法事の時に故人に捧げられるのでしょう(私なりの解釈です)。
ネットで様々な情報を目にすると・・・
「夜唱えると不成仏霊を呼び寄せる」「不成仏霊が救いを求めに寄ってくるから素人は唱えてはいけない」などと言ったトンデモ説が飛び交っているようですね。
・・・私は全くそのような事を全く信じてはおらず呆れています。
そもそも、般若心経は”教え”です。
葬儀で般若心経を捧げられても未練タラタラな不成仏霊といった存在がもしも、もしもあるのであれば、お経を捧げられても成仏できなかった霊がそのお経(般若心経や他のお経)に寄ってくるなんて事があるのでしょうかね?
まだ民衆が文字を読む事が出来ない人々が多い時代に般若心経の漢字を絵にして民衆に教えたりした時代もあり、昔のアニメの”とんち”で有名な”一休さん”のモデルになった実在した名僧”一休宗純”も、字も読めない民衆に般若心経を教える為に相当解りやすく噛み砕いた内容にして教えています。
人を救うための道や思想に生涯を捧げた人物や名僧たちが文字も読めない人々に何とか伝えようと力を尽くした般若心経に対し「素人が唱えてはいけない」「不成仏霊が寄ってくる」といった事をよく言えるものだなぁ・・・、どこからそのような解釈が出たのか、そこまで言えるのであればその根拠があるんでしょ?と私は呆れてしまうのです。
世間では般若心経のお守りが色々ありますが、そもそも不成仏霊が救いを求めて寄ってくるならお守りにならないでしょうが!
私はそういった不成仏霊やらTVで面白おかしく特集されている心霊現象なるものを全く信じていません。呆れています。私はそういう人間です。
私は般若心経の説いている意味が大好きです。目の前の物事にすぐ翻弄され周りが見えなくなる浅はかな私には有難い教えと心得です。世間で出回っている下手な”励まし人生論や名言集”なんかよりもずっと気持ちが楽になります。
何千年も前から現代に伝わっている教えなのですから当然でしょうね。
まして、私にとっては歴史上で一番大好きで敬愛と尊敬を抱きつつ、その生涯を調べて世に残したいとすら思っている辰姫をキッカケに得た般若心経(教え)です。
だからいつ何時、気が向く時は何処でも口ずさんでいます(一人の時です)。車の中や一人でソファーで横になって居る時とかでも小声で(笑)。だって気持ちが安らぐ内容の”教え”なんですもの。
唯一、トイレの中だけでは口ずさむのを避けています。排泄中は流石に失礼かと思うからです。
こんな気持ちの安らぐ古来からの教えです。故人も捧げられれば嬉しいんじゃないかなぁ・・・。私はそう思っています。
日課の読経や気が向いた時に口ずさむのは・・・
「気持ちの楽になる、嬉しくなる教えを私があなたに唱えるので聴いてみてくださいよ」
「一緒に聞いてくれませんか?それで気持ちが楽になり嬉しくなってくれたら私も嬉しいのですよ」
・・・そういった故人への気持ちで口ずさんでいます。また、
「今の俺は現状に翻弄されてるな・・・しがらみを抜ける為に自分にその教えを言って聞かせるか・・・」
・・・そうも思って口ずさむ事もしばしばです。
不成仏霊?悪い事が起きる?素人は唱えてはいけない?・・・やめてもらいたいですね。
「あ、そう・・・だから?」と私は思っています。
それでもし、私が壮絶な不幸に見舞われ絶命したら笑っていただいて結構です(笑)。
・・・本当に現代は様々な解釈や考えがあるものです。
ただ・・・現代の一部の解釈や考え・現代の人間の常識や解釈なるものが、浅はかで身勝手なものが非常に横行していると感じざるを得ません。
上記は全て”私にとって”の般若心経についてです。
般若心経について賛否を討論するつもりは毛頭ないので、批判のコメントなどは公開する事無く即刻削除しますので私のこの記事を見て不快に思った方々はスルーした方が徒労を得ずに済むと思います。
まぁ、そんなこんなで、今日も般若心経を読経し一人口ずさんだりする変わったオジサンの私です(私)。
そもそも、私にとっての般若心経は宗教云々というものからではなく、歴史研究をしつつ敬愛と尊敬を抱くようになった歴史上人物、石田三成三女の”辰姫”がキッカケで、亡き祖父が日課としていた読経を思い出し、敬愛と尊敬を抱く個人に自分の手で喜ぶことをしてあげたいと思い、亡き祖父の日課の読経を継承しようと思った事が始まりです。
開運云々をハナから目的としていたわけではなく、宗教に属する気も毛頭ありません。
しかしながら、般若心経を得たからには、その歴史や意味をしっかり理解しておく必要もあるだろうと思い(職業病かな?)、幾つかの書物やネット上での情報を手当たり次第目を通してきました。
・・・まぁ~、いろんな解釈があるものですね。
般若心経そのものが言っている意味は共通ですが、般若心経に対しての偏見(?)は凄まじいとすら感じました。
そこで、私なりに調べて私なりに思い解釈した般若心経の存在や在り方について記しておこうと思います。
あくまで、私の般若心経の在り方です。別に薦めているわけでもスピリチュアルを論じているわけでもありません。
そもそも般若心経は仏の教え。よりよく生きていく為の道しるべ、教えと私は思っています。
開運や除霊云々といった類の事は般若心経の本来の目的と異なるものだと思っています。ただ、葬儀や法事と言った故人との関わりや宗教上での作法の場で用いられる事から、現代では心霊的・スピリチュアル的なイメージが先行しがちなのでは?と思ったりもしています。
般若心経の説いている内容は”不変なものはない””こだわりを捨てる事””皆共に”に重きを置いていると解釈しています。全文の意味を知り受け止めると、非常に気持ちが安らぎ、目の前の物事に翻弄されていた自分に気付かされる思いです(私はです)。
そんな気持ちの安らぐ、人よりも崇高な存在が説き何千年も前の僧や人を救う道を模索した方々が人生をかけ翻訳し集約した教えです。故人が聴いても喜ぶのでは?と思います。だからきっと葬儀や法事の時に故人に捧げられるのでしょう(私なりの解釈です)。
ネットで様々な情報を目にすると・・・
「夜唱えると不成仏霊を呼び寄せる」「不成仏霊が救いを求めに寄ってくるから素人は唱えてはいけない」などと言ったトンデモ説が飛び交っているようですね。
・・・私は全くそのような事を全く信じてはおらず呆れています。
そもそも、般若心経は”教え”です。
葬儀で般若心経を捧げられても未練タラタラな不成仏霊といった存在がもしも、もしもあるのであれば、お経を捧げられても成仏できなかった霊がそのお経(般若心経や他のお経)に寄ってくるなんて事があるのでしょうかね?
まだ民衆が文字を読む事が出来ない人々が多い時代に般若心経の漢字を絵にして民衆に教えたりした時代もあり、昔のアニメの”とんち”で有名な”一休さん”のモデルになった実在した名僧”一休宗純”も、字も読めない民衆に般若心経を教える為に相当解りやすく噛み砕いた内容にして教えています。
人を救うための道や思想に生涯を捧げた人物や名僧たちが文字も読めない人々に何とか伝えようと力を尽くした般若心経に対し「素人が唱えてはいけない」「不成仏霊が寄ってくる」といった事をよく言えるものだなぁ・・・、どこからそのような解釈が出たのか、そこまで言えるのであればその根拠があるんでしょ?と私は呆れてしまうのです。
世間では般若心経のお守りが色々ありますが、そもそも不成仏霊が救いを求めて寄ってくるならお守りにならないでしょうが!
私はそういった不成仏霊やらTVで面白おかしく特集されている心霊現象なるものを全く信じていません。呆れています。私はそういう人間です。
私は般若心経の説いている意味が大好きです。目の前の物事にすぐ翻弄され周りが見えなくなる浅はかな私には有難い教えと心得です。世間で出回っている下手な”励まし人生論や名言集”なんかよりもずっと気持ちが楽になります。
何千年も前から現代に伝わっている教えなのですから当然でしょうね。
まして、私にとっては歴史上で一番大好きで敬愛と尊敬を抱きつつ、その生涯を調べて世に残したいとすら思っている辰姫をキッカケに得た般若心経(教え)です。
だからいつ何時、気が向く時は何処でも口ずさんでいます(一人の時です)。車の中や一人でソファーで横になって居る時とかでも小声で(笑)。だって気持ちが安らぐ内容の”教え”なんですもの。
唯一、トイレの中だけでは口ずさむのを避けています。排泄中は流石に失礼かと思うからです。
こんな気持ちの安らぐ古来からの教えです。故人も捧げられれば嬉しいんじゃないかなぁ・・・。私はそう思っています。
日課の読経や気が向いた時に口ずさむのは・・・
「気持ちの楽になる、嬉しくなる教えを私があなたに唱えるので聴いてみてくださいよ」
「一緒に聞いてくれませんか?それで気持ちが楽になり嬉しくなってくれたら私も嬉しいのですよ」
・・・そういった故人への気持ちで口ずさんでいます。また、
「今の俺は現状に翻弄されてるな・・・しがらみを抜ける為に自分にその教えを言って聞かせるか・・・」
・・・そうも思って口ずさむ事もしばしばです。
不成仏霊?悪い事が起きる?素人は唱えてはいけない?・・・やめてもらいたいですね。
「あ、そう・・・だから?」と私は思っています。
それでもし、私が壮絶な不幸に見舞われ絶命したら笑っていただいて結構です(笑)。
・・・本当に現代は様々な解釈や考えがあるものです。
ただ・・・現代の一部の解釈や考え・現代の人間の常識や解釈なるものが、浅はかで身勝手なものが非常に横行していると感じざるを得ません。
上記は全て”私にとって”の般若心経についてです。
般若心経について賛否を討論するつもりは毛頭ないので、批判のコメントなどは公開する事無く即刻削除しますので私のこの記事を見て不快に思った方々はスルーした方が徒労を得ずに済むと思います。
まぁ、そんなこんなで、今日も般若心経を読経し一人口ずさんだりする変わったオジサンの私です(私)。