昨年の末に辰姫の墓前で住職様が経をあげて下さるといい本堂で経を捧げてくれた時、そして昨日、住職様の好意で私と共に般若心経を唱えて下さった時、その最後に
「願わくはこの功徳をもって普く一切のものに及ぼし・・・」
そう言っている事を思い出しました。これが普回向という分だという事は知っていましたが、私は日々の読経で般若心経と光明真言は捧げていますが、この普回向は唱えていませんでした。
この普回向なる文は、読経で得た自分の功徳を普く一切のもの(故人を含む)に振り分け、その安堵を願うというものです。
この普回向を日々の読経の最後に唱えようと決めて実行を始めました。
私の日々の読経は祖父の形見の観音像と先祖と辰姫に別々に般若心経と光明真言を捧げていました。
ですが、昨日の住職様の最後の普回向を聞いた時に思ったんです。
辰姫を敬愛し、研究を伝承を志している私です。
もし、私が辰姫の立場なら・・・辰姫なら、「私だけでなく多くのものにも施してあげて」と願うのではないかと。
・・・いい歳こいて、ちょっとロマンチストですかね、私は(汗)。
ともあれ、”皆共に”という事を思えば、この普回向は私に必要なのではと思ったんですね。
教説(多くの人々に教えを説く)という戒名を授かったほどの人物である辰姫なら、やはりそう思うのではないかと・・・。
というわけで、亡き祖父から引き継いだ日課の読経は、私の場合は般若心経・光明真言・普回向となったわけです。
辰姫の墓参りから、いささか仏教系の記事に見えるでしょうが、私は仏教を薦めているわけではありません。私個人が好きでやっている事なので、読者の皆様には誤解されない様願います。
「願わくはこの功徳をもって普く一切のものに及ぼし・・・」
そう言っている事を思い出しました。これが普回向という分だという事は知っていましたが、私は日々の読経で般若心経と光明真言は捧げていますが、この普回向は唱えていませんでした。
この普回向なる文は、読経で得た自分の功徳を普く一切のもの(故人を含む)に振り分け、その安堵を願うというものです。
この普回向を日々の読経の最後に唱えようと決めて実行を始めました。
私の日々の読経は祖父の形見の観音像と先祖と辰姫に別々に般若心経と光明真言を捧げていました。
ですが、昨日の住職様の最後の普回向を聞いた時に思ったんです。
辰姫を敬愛し、研究を伝承を志している私です。
もし、私が辰姫の立場なら・・・辰姫なら、「私だけでなく多くのものにも施してあげて」と願うのではないかと。
・・・いい歳こいて、ちょっとロマンチストですかね、私は(汗)。
ともあれ、”皆共に”という事を思えば、この普回向は私に必要なのではと思ったんですね。
教説(多くの人々に教えを説く)という戒名を授かったほどの人物である辰姫なら、やはりそう思うのではないかと・・・。
というわけで、亡き祖父から引き継いだ日課の読経は、私の場合は般若心経・光明真言・普回向となったわけです。
辰姫の墓参りから、いささか仏教系の記事に見えるでしょうが、私は仏教を薦めているわけではありません。私個人が好きでやっている事なので、読者の皆様には誤解されない様願います。