月も6月になり、私自身の毎月の恒例行事である辰姫の墓参りに行ってきた。
曇り空で湿気もあり雨を心配したが、現地につくと曇りで日差しが無く、かえって過ごしやすかった。雨も降る様子はなくなっていた。
本堂前で東楊寺の本尊である薬師如来と本堂内に共に祀られてある不動明王に向い読経を捧げ感謝を回向し、辰姫の墓前に向かう。
本堂内の不動明王には今まで関心と信仰心は正直なかったのだが、以前の記事に書いているが(参照して下さい)辰姫をキッカケに不動明王への関心とご縁を頂いたと私は思っているので、それ以後、不動明王に対しても日々の読経をしている事もあり、読経と回向をさせてもらった。
自身の近況を述べ、しっかりと感謝と想いを述べ、辰姫の墓前で読経をし回向をする。
境内にはだれ一人おらず、辰姫と二人だけで向き合っているような気になった。私としてはいつもの事だが。
当ブログの研究記事は進んでいないが、辰姫という人物とその生涯を知る上では、全て見て頂ければその実像はおおよそ解って頂けるまでの無いようにはなっていると私は思っている。
更新頻度の少ない当ブログだが、毎日、アクセス数が数十件あるという事は、それだけでも辰姫の事を知って下さる方々が日々おられるという証なので、私としては嬉しく思っている。
きっと辰姫も喜んで下さるはずだと勝手に想像してしまう私がいる。
先日、TVで映画の関ケ原(原作:司馬遼太郎)が放映されていた。
研究記事の中にも書いているが、辰姫が初めて映像として登場した創作品だ。映画館にも見に行ったがTVでも見た。
もっとも創作品なので原作者の司馬遼太郎の作り上げたフィクションがふんだんに盛り込まれていて真実ではないが、映像化(実写化)された”おね”の養女としての幼い辰姫の姿は、私にとっては嬉しくもあり、辰姫という人物が世間に知られる為の手段の一つとしては大目に見れるかなといったところだ。
もっともその映画関ケ原の中で辰姫が登場するのは僅か一分にも満たないのだが・・・。
もうじき梅雨に入る。
そうなれば墓前で線香を焚き、読経を捧げる事も出来なくなる。
その前に何とかこうして6月の分の墓参りと読経が出来てよかったと思っている。
そうでなくても日々辰姫の戒名に向い読経を捧げ回向をしているのだが、それだけでは私の気が済まない。
歴史研究対象や好きな歴史上人物として、というだけでなく、私は辰姫という人物に感謝と敬愛の念を持っている。
以前の記事にも書いているが、感謝しきれない。
縁というものがあるなら、その縁に感謝しきれない。
そんな辰姫の事を知って下さる方々が増えるよう、このブログは存続し続ける。
そして、新たな発見があれば当然記事にして公表する。その事に私利私欲は無い。
辰姫の事を知って下さる方がこれからも増える事を切に望む私がいる。
そして、これからもずっと辰姫の供養が出来れば、私にとってこれほど子供の様だが、嬉しく思う事は無い。
曇り空で湿気もあり雨を心配したが、現地につくと曇りで日差しが無く、かえって過ごしやすかった。雨も降る様子はなくなっていた。
本堂前で東楊寺の本尊である薬師如来と本堂内に共に祀られてある不動明王に向い読経を捧げ感謝を回向し、辰姫の墓前に向かう。
本堂内の不動明王には今まで関心と信仰心は正直なかったのだが、以前の記事に書いているが(参照して下さい)辰姫をキッカケに不動明王への関心とご縁を頂いたと私は思っているので、それ以後、不動明王に対しても日々の読経をしている事もあり、読経と回向をさせてもらった。
自身の近況を述べ、しっかりと感謝と想いを述べ、辰姫の墓前で読経をし回向をする。
境内にはだれ一人おらず、辰姫と二人だけで向き合っているような気になった。私としてはいつもの事だが。
当ブログの研究記事は進んでいないが、辰姫という人物とその生涯を知る上では、全て見て頂ければその実像はおおよそ解って頂けるまでの無いようにはなっていると私は思っている。
更新頻度の少ない当ブログだが、毎日、アクセス数が数十件あるという事は、それだけでも辰姫の事を知って下さる方々が日々おられるという証なので、私としては嬉しく思っている。
きっと辰姫も喜んで下さるはずだと勝手に想像してしまう私がいる。
先日、TVで映画の関ケ原(原作:司馬遼太郎)が放映されていた。
研究記事の中にも書いているが、辰姫が初めて映像として登場した創作品だ。映画館にも見に行ったがTVでも見た。
もっとも創作品なので原作者の司馬遼太郎の作り上げたフィクションがふんだんに盛り込まれていて真実ではないが、映像化(実写化)された”おね”の養女としての幼い辰姫の姿は、私にとっては嬉しくもあり、辰姫という人物が世間に知られる為の手段の一つとしては大目に見れるかなといったところだ。
もっともその映画関ケ原の中で辰姫が登場するのは僅か一分にも満たないのだが・・・。
もうじき梅雨に入る。
そうなれば墓前で線香を焚き、読経を捧げる事も出来なくなる。
その前に何とかこうして6月の分の墓参りと読経が出来てよかったと思っている。
そうでなくても日々辰姫の戒名に向い読経を捧げ回向をしているのだが、それだけでは私の気が済まない。
歴史研究対象や好きな歴史上人物として、というだけでなく、私は辰姫という人物に感謝と敬愛の念を持っている。
以前の記事にも書いているが、感謝しきれない。
縁というものがあるなら、その縁に感謝しきれない。
そんな辰姫の事を知って下さる方々が増えるよう、このブログは存続し続ける。
そして、新たな発見があれば当然記事にして公表する。その事に私利私欲は無い。
辰姫の事を知って下さる方がこれからも増える事を切に望む私がいる。
そして、これからもずっと辰姫の供養が出来れば、私にとってこれほど子供の様だが、嬉しく思う事は無い。