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Channel: 辰姫 ~石田三成の娘の生涯と軌跡~
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【エッセイ】史実を曲げる創作品のリスク

 当サイト(ブログ)に訪れて下さった皆様、辰姫の研究記事はいかほど目を通して下さったでしょうか?  昨今、小説やドラマ映画など様々な創作品があふれ、その中で様々な歴史上人物達が史実とは異なる”時には神がかった英雄像”または”見る者が面白く思うような人柄”として描かれてしまっていますが・・・。...

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【エッセイ】研究だけでなく、歴史愛好家の一人としてとしても

 当サイトで辰姫の事を知った方、また、辰姫の生涯の詳細を知った方々はどれほどおられるでしょうか。  当サイトこのカテゴリー(エッセイ(辰姫と私))では、当サイト管理人である私の個人的な辰姫への印象や想いなどを書いていこうと思います。  以前もエッセイとして記事にしたためておりましたが、エッセイ記事を一新し、こうして再びエッセイとしても綴っていこうと思っています。...

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津軽信義の行動から見える、辰姫の”石田三成の血統”である事に対する精神

 前回(昨日)の辰姫研究記事の「津軽信義の行動から見える辰姫の母としての深い愛情」でも述べましたが、津軽信義の行動の背景と信義の生い立ちをしっかり見ていくと、史料には無い辰姫の人柄の一端が垣間見えてきます。  「津軽信義の行動から見える辰姫の母としての深い愛情」の記事で触れなかった津軽信義の行動からも辰姫の人柄が見えます。...

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津軽信義の行動から見える辰姫の母としての深い愛情

 辰姫の性格や人柄を直接表現している史料は存在しません。  しかし、他の人物やお家や書状の史料をしっかり見て考察していくと辰姫の人柄の一端が見えてきます。  辰姫には津軽信義(辰姫の一人息子、津軽家三代目大名・藩主)という実子がおり、その信義についても研究記事にしたためています。  この津軽信義を知る事でも辰姫の人柄の一端が見えます。...

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高台院(おね)の隠れた素顔と辰姫の忍辱と心の強さ

 辰姫は津軽家に嫁ぐ前に高台院(秀吉の正室:おね)の養女になっています。おねの養女になったのは1598(慶長3)年で辰姫が7歳の時です。  ここで見逃してならないのは辰姫が養女になった1598(慶長3)年は豊臣秀吉が他界した年だという事です。  おねの立場から見れば、自分の夫であり天下人でもある秀吉が危篤・死去した年になぜ石田三成の娘の辰姫を養女にする必要があったのでしょうか。...

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長勝寺の城と変わらない造りから見える津軽信枚の覚悟

 2016年9月3日、青森県弘前市の長勝寺の津軽家歴代の当主の廟を巡った際に長勝寺の説明を寺の従業員に伺いました。    ↑ 長勝寺の入り口の門。境内の津軽家の代々の当主の廟の前に行く為には有料です。...

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長勝寺の津軽信枚・満天姫・津軽信義の廟(墓)

 2016年9月3日に青森県弘前市の長勝寺に行きました。  長勝寺は津軽家の菩提寺です。津軽家の歴代の藩主と満天姫の廟があります。     ↑ 辰姫の夫・津軽家二代目津軽信枚の廟    ↑ 信枚の廟。読み見る堂の正面の扉に津軽家の家紋が薄っすら描かれています。    ↑ 信枚の廟の上の方にも津軽家の家紋がしっかり添えられています。    ↑ 満天姫の廟。信枚の廟の隣に位置します。    ↑...

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弘前の貞昌寺の辰姫の墓石

 2016年9月3日と9月4日に青森県弘前市にある貞昌寺に行きました。  貞昌寺には辰姫の一人息子である津軽家三代目津軽信義が建立した辰姫の墓石(供養塔)があります。    ↑ 貞昌寺の墓地の奥に並ぶ4基の墓石(供養塔)。左から二番目が辰姫の墓石。    ↑ 津軽信義が建立した津軽の辰姫の墓石。    ↑ 群馬県太田市尾島町の東楊寺の辰姫の墓石の大体4倍以上の大きさで石材もしっかりしている。...

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【エッセイ】6月の辰姫の墓参り

 月も6月になり、私自身の毎月の恒例行事である辰姫の墓参りに行ってきた。  曇り空で湿気もあり雨を心配したが、現地につくと曇りで日差しが無く、かえって過ごしやすかった。雨も降る様子はなくなっていた。  本堂前で東楊寺の本尊である薬師如来と本堂内に共に祀られてある不動明王に向い読経を捧げ感謝を回向し、辰姫の墓前に向かう。...

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【エッセイ】感謝しきれません

 日々辰姫に感謝と読経を捧げている。  辰姫の研究を始めて以降、いや、初めて辰姫の墓を訪れたその時から、それらをキッカケに私は様々なものを得た。  いや・・・授かったのであろう。授かったと思っている。  辰姫の生涯と人柄。  東楊寺、その住職様夫妻と副住職様とのご縁。  津軽の歴史。  津軽の地での人々とのご縁。  仏教の知識と智慧。  先祖と故人への感謝と供養と信仰心。  慈悲の心。...

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【エッセイ】授かった御縁だろうか・・・?

 先日の5月18日。群馬県の東楊寺へ辰姫の墓参りに行ってきた。  不定期ながら毎月の辰姫の墓参りは私の月例行事であり、聖地巡礼と言ってもいい程。  いつものように辰姫の墓前で自身の近況報告と辰姫への感謝と想いを述べ、懺悔文、般若心経、大悲心陀羅尼、光明真言、回向文と読経をする。  読経の最中、小さな虫が一匹、私の顔の周りを飛んだりする。...

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【コラム】 歴史に対する現代人の無責任

 最近のTVでの歴史番組や歴史雑誌でよく目と耳にする言葉がある。    「定説が覆りつつある」と。  定説・・・。  今まで歴史は多くの歴史学者の肩書や資格を持つ先生やら研究者たちによって、しっかり研究されてきたのではないのか?  辰姫の生きた時代だけでなく、戦国時代も、いや、他の時代もそうだ。  数十年前に歴史の教科書に書かれていた事の多くが覆りつつある。  ・・・無責任ではないのか?...

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故人(辰姫)の生き様が私に前を向かせてくれている

 辰姫の人生は忍辱と慈悲そのものだと私は思っている。  忍辱とは仏教用語で「耐えがたい事に耐える事」。慈悲は「慈しみ憐れむ事」。  研究記事を見て頂ければお解りになると思うが(辰姫年表だけでもわかると思うが)、家族一族の壮絶な死、夫との強制別居(ほぼ幽閉の状態)、病によって一人息子の成長を見届ける事の出来なかったその最後・・・。  それでも辰姫は出家や自害という道を選ばなかった。...

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私の辰姫への個人的な感情等は”コラム”として、このカテゴリー(コラム)記事にしていきます。

 歴史学者でなくても、郷土研究や歴史研究を独自にしている方々は沢山いると思う。  歴史人物に思いを馳せ、調べたり研究するだけに留まらず、墓参りなどのご供養までする方々もおられる。  私もそんな一人だ。  「歴史上人物で一番好きな人物は誰?」と聞かれたら、私は真っ先に「辰姫」と答える。  石田三成の三女、辰姫。  私が最も愛する歴史上人物であり、歴史研究対象であり、憧れの人物。...

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高台院(おね)の隠れた素顔と辰姫の忍辱と心の強さ

 辰姫は津軽家に嫁ぐ前に高台院(秀吉の正室:おね)の養女になっています。おねの養女になったのは1598(慶長3)年で辰姫が7歳の時です。  ここで見逃してならないのは辰姫が養女になった1598(慶長3)年は豊臣秀吉が他界した年だという事です。  おねの立場から見れば、自分の夫であり天下人でもある秀吉が危篤・死去した年になぜ石田三成の娘の辰姫を養女にする必要があったのでしょうか。...

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長勝寺の城と変わらない造りから見える津軽信枚の覚悟

 2016年9月3日、青森県弘前市の長勝寺の津軽家歴代の当主の廟を巡った際に長勝寺の説明を寺の従業員に伺いました。    ↑ 長勝寺の入り口の門。境内の津軽家の代々の当主の廟の前に行く為には有料です。...

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津軽信義の行動から見える辰姫の母としての深い愛情

 辰姫の性格や人柄を直接表現している史料は存在しません。  しかし、他の人物やお家や書状の史料をしっかり見て考察していくと辰姫の人柄の一端が見えてきます。  辰姫には津軽信義(辰姫の一人息子、津軽家三代目大名・藩主)という実子がおり、その信義についても研究記事にしたためています。  この津軽信義を知る事でも辰姫の人柄の一端が見えます。...

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辰姫研究と顕彰の為、新たにペンネームを使う事にしました。

 私が辰姫の墓を始めて訪れ、辰姫の研究を始めたのは2014年の12月でした。  以後、日にちは不定期ですが毎月、辰姫の墓参りをしています。  辰姫の研究に取り組むにあたり、世間に少しでも辰姫の事を公開し、400年以上辰姫を覆っていた歴史の闇を払拭しようと、以前は”大館平蔵”というペンネームを用いていました。...

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4月となり毎月の辰姫の墓参りに

 月も4月になったので、群馬県の東楊寺に毎月の辰姫の墓参りに行ってきました。  辰姫の墓前に跪き読経を捧げようとすると薄曇りの空が晴れ暖かい日差しが墓石と私を照らし、まるで辰姫が私をねぎらってくれているかのように思ってしまいました。  研究現状、日常思う事、辰姫への想い、そして御縁と沢山の”ありがとう”をしっかりお伝えしたつもりです。...

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故人を偲ぶ

 私も社会人として勤めに出て、また一家を支える身です。  そんな日々で理不尽や不合理を受ける事もあります。  そんな時「辰姫の時代、辰姫の感じたそれら理不尽や辛さはこんなものではなかったのだろう・・・」と思う時があります。  私は屈し心が折れる事もある弱い人間ですが、辰姫はそれでも自身の境遇を受け入れ、夫の津軽信枚の想いに応え、一人息子の平蔵(後の津軽信義)を育てていました。...

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